典満(てんまん)
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典 満(てん まん、生没年不詳)
魏の武将。典韋の子。
『三国志』魏志典韋伝によると、父の死後、曹操から郎中に任命された。
後に司馬に昇進し、曹丕から関内侯の位を与えられ、都尉に昇進したとある。
wikiより
三国志5には典満登場してませんでした。
というか、典韋に子供いたんか
曹操は戦死した場所を通るたびに典韋を弔い、彼の子である典満を郎中とし、後に司馬に採り立てて側に置いた。とwikiにもある。
もっと活躍の場があってもいいだろうと思ったが、歴史として残らなかったと思うが
ただ単にワイが知らないだけか?
でも関羽が死んでまもなくして曹操も逝去する。
それ以降、曹丕に付いている。
多分戦っていると思います。
曹丕から関内侯の位を与えられている。
関内候(かんだいこう)とは、皇帝から臣下に与えられる爵位のことで
二十等爵(にじっとうしゃく)といい、20個の爵位がある。
関内候は上から二番目の爵位で張遼とかもこの爵位を与えられている。
濡須口の戦い(じゅしゅこうのたたかい)あたりで活躍していないかな?
と思いwikiを見るが名前がない、だが魏将の武将名のあと【等】とあるため、もしかすると参加していたか、都を守っていたのかどちらかだろうと考えられる。
父だって主君を守って最期と遂げたのだから、都を守っていたのかな?
典韋の歴史を改めて確認してみると
父の典韋が弁慶状態で壮絶な最期を遂げた。
演義でも
張繡反乱の際には、張繡軍の胡車児に酒で酔わされた隙に武器を奪われたため、敵の武器を奪って戦うが、敵の弓兵の一斉射撃を全身に浴び、直立不動のまま息絶えたことにされている。wikiより
漫画『蒼天航路』では胡車児に食事に毒を盛られてました。
正史でも鉄壁の守りをするも、典韋は最後、突進し数人を殺してから、目を怒らせて口をあけ、大声で罵りながら死んだ。とある。
張繡と胡車児と賈詡が印象的でした。
賈詡(かく)は主君を多く変えている。
董卓・李傕・段煨・張繡に仕えた後、曹操・曹丕の2代にわたり重臣として活躍する。
藤堂高虎思い出す。
【主君】 浅井長政→阿閉貞征→磯野員昌→津田信澄→豊臣秀長→秀保→秀吉→秀頼→徳川家康→秀忠→家光
【藩】 伊予今治藩主→伊勢津藩主
世渡り上手としかいいようがない、この時代なら主君をころころと変えるとここそ死を意味する。