李典(りてん)
ぶりょく【武力】56 ちりょく【知力】40 みりょく【魅力】45
三国志5での李典
李典は有名な魏の将。
ここで気になったのが、この頃(三国志2)はまだモブキャラ的扱いなんですね
顔グラがまず、モブキャラのものです。(多少違う)
ですが、顔グラを一つづつ描く手間はかなりの費用と労力がかかるためしょうがないと思います。
能力値での比較をしてみましょう。
武力【武】78 知力【知】81 魅力【魅】69 政治【政】49
(三国志5での李典の能力値)
ぶりょく【武力】56 ちりょく【知力】40 みりょく【魅力】45
(三国志2の能力値)
武力がかなり上がっています。知力も倍以上上がってます。
魅力も+24も上がっている。
李典は黄巾賊討伐時代から曹操に従った歴戦の強者と三国志5の説明に書いている。
冷静で慎重な性格で、同僚の暴走も度々抑えた。
張遼・楽進とともに合肥を守備した。とある。(三国志5・伝記)
李典は三国志5で登場していて、ブログ記事にする気がなかったが、あまりの脇役ぶりと能力値の低さと量産顔グラのモブキャラ扱いが、KOEIゲーム・三国志の歴史を感じました。
三国志から三国志2までのKOEIの歴史も知れるので、記事にする事にしました。
三国志2の時は楽進もあまり強くありません
記事にしたので、気になった方はこちらをご覧下さい。
楽進の顔グラはオリジナルなものなのか?
量産型かは、わかりませんが、よく調べてね1人1人少し違う顔グラです。
楽進の真っ直ぐな顔グラは何となく気に入りました。
だが問題の能力が李典よりもかなり低いものとなっています。
知力【38】武力【44】魅力【41】(三国志2・楽進)
かなり能力は低いです。
話は李典に戻るが、冷静で慎重な性格とあるように正史でも知力は高かったのではないだろうか?と思う伝記がある。
建安7年(202年)に曹操が黎陽の袁譚・袁尚を攻撃した際、李典は程昱とともに船で兵糧を輸送した。
袁尚は魏郡太守の高蕃に命じて水路を遮断させていた。
曹操はあらかじめ「船が通れないなら陸路を行くように」と命じていたが
李典は「高蕃の軍はよろいをつけた兵が少なく、水に頼りきって油断をしているから攻撃すれば必ず勝てる。
軍は朝廷に統御されず、国家の利益になるならば専断は許される。
速やかに攻撃すべきだ」と主張した。
程昱は同意し、高蕃に急襲をかけて打ち破り、水路を回復させた。
李典は若いころ学問を好み、軍事は好きではなかった。
先生について『春秋左氏伝』をはじめ多くの書物に親しんだ。wikiより
これを見るに程昱も同意するぐらいだから知力もそれなりにあると思える。
これを見るに諸葛亮に提言した魏延も思い出します。(魏延の進言は採用されなかったが… …)
それ以前に色々と問題も起こしていたそうだから、魏延の進言は採用されるものではなかったのだろう。