郭奕(かくえき)
ぶりょく【武力】30 ちりょく【知力】89 みりょく【魅力】71
三国志5での郭奕。
郭嘉の息子です。
三国志5でも郭奕の記事を書きましたが、三国志2の顔グラ(特殊な感じ)が気になったので、記事に残してみました。
後ろ姿からの顔グラは三国志5では朶思大王の顔グラを思い出します。
三国志5での朶思大王の顔グラはこちらの記事でご覧下さい。
この背を見せる感じ、瞬獄殺かって感じのインパクトを感じる。
瞬獄殺とは?何?って思った方に軽く説明すると
ストリートファイターシリーズのキャラクターである豪鬼が使用する大技です。
その話は冗談として、郭奕の能力値比較をしてみたいと思います。
(三国志2と三国志5の比較です。)
ぶりょく【武力】30 ちりょく【知力】89 みりょく【魅力】71
武力【武】30 知力【知】79 魅力【魅】41 政治【政】82
武力は据え置きで、その他は修正があります。
知力に関しては、曹操が幼い郭奕を教育したとある。
父ほどではないが物事の理解が早く、知識も豊富だったそうだ。
三国志2では【89】→三国志5で【79】になっている、これは良い修正入ったんじゃないかなと思います。
ちょっと【89】は高すぎたんじゃないのかと私も思います。
なので三国志5での【79】妥当ですね
そして次に魅力に関してですが、三国志2では【71】から三国志5では【41】になっている。
これは、Wiki でエピソードの確認すると分かる通り
郭奕と親交のあった王昶が、子や兄の子に残した訓戒によると「好きな人は山を仰ぎ見るように徹底して尊敬するが、嫌いな人は草を見下すように徹底して軽んじる」
という度量の狭さもあったという。王昶は、郭奕の態度を取ってはいけない例として挙げている。wikiより
これを見るに、三国志2では【71】から三国志5では【41】の変更は妥当と判断します。
寧ろ多いと考える。
魅力の比較対象をするのならば、劉備は魅力というか侠が存在するのかという部分になる。
この部分は一言に片付けるには難し部分もある。
晩年になり、切羽詰まると我が出るのはしょうがない部分もある。
これにより蜀の本来の目的よりも敵討ちになり滅亡することになる。
魅力と知力は近しいものなのかも知れないですね、因みに部下にやられた張飛も三国志5では魅力44ほどでした。
今回は、三国志2での郭奕の顔グラが特別に瞬獄殺感があり面白かったので記事にした次第です。