三国志2 武将データ 審栄

三国志2 武将データ 審栄

審栄(しんえい)

 

ぶりょく【武力】48 ちりょく【知力】49 みりょく【魅力】47

 

審 栄(しん えい、生没年不詳)

冀州魏郡陰安県の人。叔父は審配。

 

袁尚配下。

 

建安9年(204年)2月、曹操が袁尚の本拠である鄴を攻めた際、審配がこれを守備した。

 

審栄も審配の指揮下で東門校尉を務めていたが、同年8月に東門を開いて曹操に寝返った。

 

審配は捕えられると、曹操から「裏切者は審栄であった」聞かされたため、審栄に対し「役立たずの小僧の分際で」と罵り悔しがった。

 

審配が処刑された後の審栄の消息は不明である。

 

『三国志演義』では、辛毗の友人という設定であり、審配に一族を皆殺しにされた辛毗に同情し、曹操に内通するという展開になっている。

 

正史では、審配が皆殺しにしたのは兄の辛評の家族のみであり、辛毗の家族は辛うじて窮地を脱している。

 

審栄が辛毗と友人であったかどうかについても、史実では記載がない。

 

辛毗が怒りの余り捕えられた審配を鞭打ったことや、審配が捕らえられた後で曹操から開門した人物が審栄だと告げられた場面は、『演義』でも正史でもほぼ同様である。

wikiより

 

叔父の審配は三国志5でも登場します。

だが、審栄は三国志5では登場しませんでした。

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審配というと三国志5で強かった思い出があります。

大抵は敵として現れたイメージです。平均して能力値高かったため、かなり強かった思い出があります。

何かしらで城を守っていて守りが堅いイメージです。

因みに三国志5での能力値はこんな感じです。

 

武力【武】73 知力【知】69 魅力【魅】75 政治【政】87

 

話は審栄に戻る、三国志2での審栄の強さはあまり強くはないです。

 

ぶりょく【武力】48 ちりょく【知力】49 みりょく【魅力】47

 

だが、平均的に50届くか届かないかの感じで、弱くはないです。

 

史実では、審栄は曹操に寝返り、曹操に審配は捕えられると、曹操から「裏切者は審栄であった」聞かされたため、審栄に対し「役立たずの小僧の分際で」と罵り悔しがった。

 

その後、審配は処刑され審栄は消息不明とある。

 

袁紹軍は何かしらの仲間割れで破滅しているように思える。

 

これはリーダーシップを取る主君(袁紹)の統率がなかったのだと思える。

 

なので助言が暴走し、家臣同士が争い袁紹は滅びました。

 

ドラマ三国志でも、許攸、田豊、郭図との内部争いをし、良し悪しのわからない君主は迷い家臣を疑う、これを繰り返し破滅したのだった。