張承(ちょうしょう)
ぶりょく【武力】64 ちりょく【知力】42 みりょく【魅力】57
張承と同名の人物がもう一人存在している。
張承 (後漢) 張範の弟。曹操に仕えた。
張承 (孫呉) 張昭の長男。呉の人物。
三国志2でのこの顔グラのキャラがどっちの張承かわかりません
だが、中原にいたので曹操の配下に存在していたので、今回は張承 (後漢)の曹操仕えて人物として調べていこうと思います。
三国志2の攻略本のようなものに載ってたりするものなのかわかりませんが、ゲーム内でも2名存在するのか不明です。
張 承(ちょう しょう、生没年不詳)
祖父は張歆(司徒)。父は張延(太尉)。兄は張範。
弟は張昭(呉の張昭とは別人)。
子は張戩。『三国志』魏書張範伝に付伝する形で紹介。
兄の張範と共に名を知られ
方正として召し出されて議郎(官位)に任命され、後に伊闕都尉へ転任した。
方正とは
郷挙里選(きょうきょりせん)で、中国で漢代に行われていた官吏の登用制度のひとつである。
地方の高官や有力者が、秀才や孝廉などの科目別に、その地域の優秀な人物を中央に推薦した。
孝廉(こうれん)は、中国前漢の武帝が制定した郷挙里選の察挙科目の一つ。
孝廉とは父母への孝順及び物事に対する廉正な態度を意味する。
孝廉は察挙常科の中で最も重要視された科目である。
董卓が政権を握るとこれに反発し挙兵を図ったが、張昭(呉の張昭とは別人)に諌められたため、官を辞して張範と共に揚州へ逃れた。
張範は袁術に招請(招き迎えること。)されるとそれを拒み、張承を代理の挨拶のために赴かせた。
領地の広さ・領民の多さを誇る袁術に対し、張承は「分不相応な真似をされ、時勢に逆らって行動し、民衆に忠誠を断たれたなら、誰が功業を打ち立てられましょう」と批判した。
曹操は袁紹に敵わないと主張した袁術の見識を否定し、曹操を擁護した。
袁術が不機嫌になり、張承は彼のもとを辞去した。
曹操は冀州を平定すると、使者を派遣して張範を迎えさせた。
張範が病気であったため、張承が代わって曹操の元へ赴き、諫議大夫に任命された。
魏が藩国として建国された当初、張承は丞相参軍祭酒と趙郡太守を兼任し、教化を大いに行き渡らせた。
曹操が西方に軍を向けると参軍事として同行するも、長安で病のため没した。
wikiより
張承は見識があり先読みしてたいと思える。
まず、董卓政権から脱出する。(最初に挙兵考えが分が悪い。)
袁術が招き迎えるが拒否し、袁術が曹操が袁紹に敵わないと言うとそれを否定する。
これにより袁術が不機嫌になり彼の元を去った。
曹操は冀州を平定すると曹操の元に赴き、諫議大夫に任命。
諫議大夫(かんぎたいふ)とは
官名の一つ。天子のあやまりをいさめ、国家の利害得失などを忠告する役目。
『三国志演義』では登場しません。
ちりょく【知力】42ではない気がするが、あまり能力が上げ過ぎるとゲームバランスが狂ってしまうので、一概には言えない部分がある。