三国志2 武将データ 鞏志

三国志2 武将データ 鞏志

鞏志(きょうし)

ぶりょく【武力】42 ちりょく【知力】46 みりょく【魅力】52

鞏志は三国志5でも登場してます。

三国志演義に登場する架空の武将です。

鞏志は金旋の配下で

荊州四英傑というと【劉度、韓玄、趙範、そして金旋】

張飛軍が荊州南部へ侵略して来た際に、金旋は鞏志の制止を聞かずに出陣。

張飛にかなわず撤退する最中に、裏切った鞏志に射られて死亡し、鞏志は劉備に降伏する。

後に武陵太守に任ぜられ、それっきり登場せず。

三国志5と三国志2の能力との比較。

ぶりょく【武力】42 ちりょく【知力】46 みりょく【魅力】52 (三国志2)

武力【武】46 知力【知】64 魅力【魅】49 政治【政】58 (三国志5)

知力が上がってますね

魅力は若干下がってます。

武力も+4上がってます。

荊州四英傑って基本的にやられ役なのです。

【劉度、韓玄、趙範、金旋】

横山三国志でも首を射られているシーンがあります。

ゲームとして使用するには持ってこいのキャラクターであることは間違いないですね

三国志シリーズ信長の野望シリーズでもゲーム動画を作るとするならば、最弱武将でプレイヤーの腕と粘りを見せるのが誉やね

ゴーストオブツシマ?って思った方もいると思うが、ネタなのでそんな話はどうでもいいとしよう、まず三国志シリーズで動画を作るのならば、メジャー最弱キャラというと劉禅さんだろう、曹豹もかなり人気がある。

だが、金旋もなかなか良い逸材なのではないだろうか?

こういったキャラでの縛りプレイをし、新たに三国志シリーズの動画やらを作った面白そうな感じです。

これはあくまでも個人的な考えなのでこれをやれば確実にアクセス数が稼げるなど金がゲットできるという、簡単な考えではないです。

だが、なぜだか三国志の最弱武将は何気に人気があるということは間違いない。

というか、武将のエピソードが面白いと言うか、ありえないものから人間味のあるパターンもあるのでリアル。

鞏志というのはただの架空の三国志演義の武将で終わるか、何かのゲーム動画を作り光をあてるかで、変わってくるんじゃないのかな〜ってだけの話でした。

荊州四英傑に関して基本さっくり思わっていることも多いですが魏延・黄忠はありがたい武将でした。

魏延は楊儀にハメられたなんて話もあります。

魏延は裏切り者のレッテルを貼られがちですが、実際は違っていて、孔明の死後魏延と中の悪かった楊儀にハメられた感じです。

劉備が魏延に漢中を守らせていたとき、漢中の攻略していたにもかかわらず悲しい最期です。

その後歴史の裏切り者となっている。

三国志2 武将データ 孫策

三国志2 武将データ 孫策

孫策(そんさく)

ぶりょく【武力】94 ちりょく【知力】88 みりょく【魅力】93

三国志5でも孫策は登場しますが、三国志2との強さの比較をしようと思います。

三国志5の能力値

武力【武】95 知力【知】83 魅力【魅】79 政治【政】62

三国志2の能力値

ぶりょく【武力】94 ちりょく【知力】88 みりょく【魅力】93

魅力が三国志2では高いですね

修正で武力+1の魅力が下がっている。

今更なぜ、孫策をまた記事にしたのか?

それは三国志2ではゲームプレイ中に気が付くと孫堅、孫策、共に戦う前に寿命迎えてしまうという点にある。

「江東の虎」と続く「小覇王」が何もしなくても寿命が来てしまうのだ。

ずっと戦いに出陣していれば、裏技とは言わないが小技でなんとか生き長らえることは可能だが、基本的には敵として難易度を求めるのならば、巨大な敵は存在していて面白いということになる。

史実通りで良いとは思うのだが、三国志2では寿命なしの設定できなかったような気がする。

孫堅なんて、気付いたら居なくなってるパターンが多いので顔グラすら覚えていないです。

下手すれば陶謙の方が長生きしている場合があるので面白いです。

凶兆はこんな感じです。

孫堅    191年

孫策    199年

袁紹    201年

郭嘉    206年

周瑜    209年

荀彧    211年

荀攸    213年

呂蒙    218年

諸葛亮    233年

呉、魏の損害が多い気がする。

だが、蜀の主軸である孔明も233年に凶兆がでるの已む無い。

これを見るに正史でも司馬懿の長寿ぶりは凄まじいものを感じる。

歴史を見るにいくら戦闘が強くて、頭が良くて策士であっても結果的に長生きしたものが覇権を握るパターンが多い気がする。

よくある話になるが徳川家康だって73〜75歳まで生きたとある。

武田信玄は52歳ぐらいだろう。

上杉謙信だって48歳と言われている。

真田幸村も48歳と言われるが、あれは死に場所を選んだと言った方が良いだろう。

寧ろ死してもなお語り継がれる方法を選んだと言った方が良いだろう。

寿命の話で言うと織田氏の家臣・滝川一益の従弟ともいわれる滝川 益氏(たきがわ ますうじ、大永7年(1527年) – 寛永12年(1635年))が108歳まで生きたある。

そんで、南光坊天海が107歳とある。

南光坊天海はこのブログでも散々言っているが、明智光秀説がある。

桔梗の紋が残ってまっせとか色々言われがちです。

南光坊天海というと山手線とか言われるが、風水で場所決めしたそうだ。

青龍・朱雀・白虎・玄武の「四神」をよく出てくるけど風水というか猛将などもよく虎や神に例えられたそうだ。

徳川埋蔵金の場所決めも風水なんだろうね

糸井重里のバス釣りナンバーワン思いだしたよ